2013年08月19日

展覧会レビューリレー

フランシス・アリス展 東京都現代美術館 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/141/
ミン・ウォン展「私のなかの私」資生堂ギャラリーhttp://group.shiseido.co.jp/gallery/
シガリット・ランダウ展「ウルの牡山羊」メゾンエルメス8Fフォーラム
http://www.art-it.asia/fpage/?OP=hermes

 メキシコ在住のベルギー人アーティスト、フランシス・アリスはヨーロッパとアフリカ大陸のジブラルタル海峡、アメリカ(キーウエスト)とキューバ(ハバナ)の国境やアメリカ大陸を南北に二分するパナマ運河などを舞台に「境界線」を意識させるパフォーマティブなアクションの記録映像や、それに纏わる絵画、ドローイング、インスタレーションといった現代アートの様々な表現形式を駆使して構成された展覧会となっている。最終的には作家自身のロマンチックで美しい物語、例えば海峡を人や船で繋ぐ「靴の船」といったような、に回収されそうで、同じ「境界」をテーマにLAとティワナ間で活動したボーダーアートワークショップの毒抜きバージョンのように見える。
シンガポール出身のミン・ウォンは世界の傑作映画の自作自演によるリメイク映像で知られている。「私のなかの私」と題された本作品は、日本の「時代劇」「現代劇」「アニメ」の3つの物語パターンを要約したもので、舞台裏を作品の一部にしながら、人種・文化的アイデンティティ、ジェンダー、ステレオタイプといった問題提起がなされている。
 どちらの作品もグローバル化する世界の中でクロスカルチャラルな立ち位置を示すことによって注目される作品であると言える。それは世界中で国際展が開催されているという現代アートの今日的な状況に符合するものだが、ここで示されているクロスカルチャラルなポジショナリティーは、「誰も侮辱しない」という意味で、逆に本質的な問題を隠蔽する可能性があるのではないだろうか。
 これらと較べる訳ではないが、シガリット・ランダウの作品は彼女の自国イスラエルのキブツ(コミューン)が舞台になっている。キブツと言えば理想郷的な農業共同体というイメージであるが、天井からつる下げられた4つのスクリーンに映し出されたオリーブの木は、そこに実った実を落とすため、巨大な機械によって激しく揺さぶられ、その轟音とともにまるでオリーブの木が悲鳴をあげているようである。木を揺さぶるマシン自体も展示されている。オリーブは中東諸国では日本人にとっての桜のように、文化的意味(平和)を持つ木なので、痛々しさを感じずにはいられなかった。また、もう一方の部屋には典型的なイスラエルの家庭の室内が再現されていて、作家による4人のシニア世代の母親たちとのインタビューがヘッドフォンで聞くことができ、文章でも読める展示になっていた。作家自身の出自と関係づけられ、日常性の中に潜む不条理を感じさせる作品で見ごたえがあった。
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2013年07月05日

ナン・ゴールディン「性的依存のバラード」

 森美術館の「LOVE展」で、久しぶりにナン・ゴールディンの出世作「性的依存のバラード」に出会った。このシリーズは元々スライドショー形式で発表されたもので、私は1985年にNYニューヨークのICP(International Center of Photography)で10人足らずの観客と一緒に観賞した。時間軸にそってイメージを映し出すパフォーマティブなもので、ナン・ゴールディン自身が選んで、つなぎ合わせたロックやポップス系の音楽に乗せてスライド・プロジェクターを操作するという、今から考えればロウテクで、一回性や偶然性を許容するイベント的な作品だった。音楽の選択も良かったし、映し出されるスナップショット写真の数々は具体的なストーリーがないのにかかわらず、矛盾するかも知れないが、具体的な関係性について物語っている。実際、その年のヴィレッジ・ヴォイス紙のベスト10映画の一つとして選ばれている。厳密には映画作品ではないのだが、その辺がヴィレッジ・ヴォイスっぽい。80年代半ばといえば、ニューヨークのアートシーンにおいては西欧男性中心主義が相対化され、様々なマイノリティー(人種、性別、セクシュアリティー)の表現がメインストリームに登場し始めた頃である。美術表現、はたまた一般的な社会通念として強さ(強度)、独立心、自律性といった価値観が重んじられるアメリカで、それとは正反対の依存する関係やヴァルネラビリティを赤裸々に、そして愛情深く表現しているこの作品が与えた衝撃とインスピレーションはその後のナン・ゴールディンの成功を決定づけたと言える。cookie Mueller.jpg
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2013年05月14日

「LOVE展」六本木ヒルズ・森美術館10周年記念展

http://www.mori.art.museum/contents/love/

六本木ヒルズの森美術館では10周年の記念展覧会「LOVE展」を開催中。時間の経つのが早く感じる今日この頃だが、森美術館については「もう10年」というより「まだ10年」だったのか、という印象だ。六本木ヒルズはグローバル化する都市の再開発の走りで、地域を巻き込んだ面的な開発事業を行い、美術館を地域のシンボル的な場所と位置づけ、高層ビルの最上階で展望デッキとの組み合わせで人気も高く、集客力の高さを誇っている。「まだ10年」という私の印象は逆に言うとコンテンポラリーアートを定例的に見せる美術館がそれ以前には存在していなかったことへの驚きでもある。

今回の展覧会は「愛」をテーマに世界中から現代美術を中心に、美術史を飾る名作やこの展覧会のために作られた新作などを含む約200点の作品を展示している。ロバート・インディアナLOVEの文字をイコン化した油彩画や、ハートマークを使ったジム・ダインの立体作品から、シュールリアリズムの作品群。草間弥生の鏡部屋のインスタレーションやその他写真や映像作品、そしてハイテクを駆使した作品など、多岐に及んでいる。よくこれだけ粒ぞろいの作品を集めたものだと感心する。さすがに資本力と政治力ともに大したものである。特にコンテンポラリーアートに興味がない人でも十分に楽しめる展覧会だと思うのでお勧めです。

日本では一民間企業が美術館を運営するというスタイルが一般化されているが、森美術館はコンテンポラリーアートに特化しているという点で、70年代の西武美術館以来のことであり、それは日本の公益美術館が西欧有名美術館のコレクション展を相も変わらず展開していることへの対極を成していると言えるだろう。しかしながら一企業がプロモートするコンテンポラリーアートは本来の意味で現代美術が有している多様性には十分に答えられない可能性がある。美術館の背後にいる企業イメージのブランド化が目的である以上、選択する作品の限定を余儀なくされるからだ。やはり企業原理や公の権威に左右されない独立性の高い市民社会的アートスペースの創造が望まれるところである。
posted by ミツオ at 14:58| Comment(0) | 日記