2013年11月15日

フレデリック・チャーチ パラダイス幻想

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パラダイス幻想
 ニューヨーク・シティから車でハドソン川沿いを2時間ほど北上する。小高い丘の頂きにハドソン・リバー派の画家、フレドリック・エドウィン・チャーチの邸宅だったオラーナがある。
 ハドソン・リバー・スクールというのはアメリカ最初の風景画家グループで、その名の通りハドソン川沿いの風景やキャッツキル山脈の未開の自然を対象に描いたことからそう呼ばれるようになった。新しい「エデンの園」として未開のアメリカ風景をロマンチックに、そしてドラマチックに描き、1825 年から1875年にかけて全盛期であった。
 これらの画家たちはニューヨークの都市生活者であったが、ハドソン川上流にスケッチ旅行に出かけ、そのスケッチをもとに、初のアーティスト専用レジデンスとしても有名な5番街の10丁目スタジオで油彩によるタブローの制作に励んだ。
 ハドソン・リバー・スクールの画家たちの登場は、それまでのヨーロッパに対する文化的劣等感とその影響を超克し、アメリカ独自の文化的アイデンティティを創造する試みとして同時代の文学者ワシントン・アーヴィングやジェームス・フィニモア・パーカーなどから熱狂的に支持されたという。純粋な人間性と自然との融合を最高の道徳性と考えるその時代の思想(先験論)はハドソン・リバー・スクールの画家たちの風景画にその具現化をみた。それはアメリカという新しい国のアイデンティティに根源的なイメージを与え、アメリカのナショナリズムの潮流の基盤を創ったといえるだろう。超大国でありながら、今日に至るまでアメリカが投影するあの「イノセントな大国」というイメージはこの時期に形成されたのではあるまいか。
ハドソン・リバー・スクールの画家の中でも、最も商業的に成功したのがフレドリック・チャーチで、彼が活躍始めた頃に、南北戦争(1861-1865年) が起こった。この戦争はアメリカを二分し荒廃と絶望をもたらしたが、同時に北東部の実業家に巨大な富をもたらし、その結果ニューヨークの美術市場では今までに例がない高額でフレデリック・チャーチを始めとする風景画家たちの絵が取引、売買されるという現象が起きたのである。プライベートコレクターの誕生である。無垢な自然の風景を理想として描いた作家たちの成功が南北戦争の経済的受益者の富によって支えられていたというのは歴史の皮肉だと云えるかもしれない。
Autumm on the Hudson.jpg
posted by ミツオ at 14:38| Comment(0) | 日記