2012年03月24日

Ay-O(靉嘔)展

東京都現代美術館で田中敦子展とAy-O(靉嘔)回顧展を見て来ました。常設展のギャラリーでも福島秀子と実験工房の作家たちを特集展示していたので、戦後日本のアヴァン・ギャルド芸術の天こ盛りでした。具体美術で活躍した田中敦子の展覧会は90年代にニューヨーク大学のグレイギャラリーで開催されたので観ています。ニューヨークでも非常に高く評価された展覧会だったので印象に残っています。確かその翌年に彼女は亡くなっていますね。彼女の作品はまだまだ絵画の可能性を感じさせる力強い作品です。再評価はもちろん残された作品の管理をしっかりやって未来に繋げてほしいものです。日本における現代アート作家の作品は、評価されるべきものが評価されなかったり、評価が充分でなかったりいつの間にか作品が紛失するというような事態が頻繁に起こっています。箱モノ行政で美術館もいっぱい建てたのだからスペースが無い訳ではないはずなのですが。


 ニューヨークに渡りオノ・ヨーコらと共にフルクサスの一員だったAy-O(靉嘔)の回顧展は彼のトレードマークの虹色の作品で会場を埋め尽くしていました。この人は器用な作家で私は初期の作品が好きです。後期の作品になるとルーティーン化が進み、あまりリアリティを感じない作品が多いように感じました。ただでさえ作品の数が多かったので、最後にはやや食傷気味になってしまった。とはいえ美術館には日本の戦後アヴァン・ギャルドからの流れをしっかり評価し、作品の保守にも力を注いでほしいと思います。今の日本に必要なのはチャレンジ精神旺盛なアヴァン・ギャルド精神の復権だと思います!

Ay-O’s first retrospective exhibition in Japan.He is respected around the world but not so much in Japan until now.but not so much in Japan until now.




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東京都現代美術館にて「顔出し」に挑戦。

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2012年03月17日

LEE BUL展:アジアを代表する韓国女性アーティスト、初の大規模個展

六本木ヒルズの最上階にある森美術館で開催されている韓国の女性現代アーティスト、「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」を見て来ました。お金のかかった大規模な個展で、誰でもが楽しめる展覧会になっています。現代アートに馴染みがない人、現代アートはどうも苦手…という人たちにもお勧めできるエンターテイメントな展覧会です。

 軍事政権から民主化への移行を経験した世代のイ・ブルの作品は、「サイボーグ」「モンスター」と名づけられている作品群からも分かるように、SFのイメージで溢れています。エヴァンゲリオンやエイリアンなどの他、日本のポップイメージへの類似性を見ることができます。また床全体にミラー板を敷き詰め、韓国近代史への言及を含んだ建築・都市模型など、大がかりなインスタレーションは見応えがありました。その他にも写真ドキュメントのみでの展示でしたが、ニューヨーク近代美術館MoMAのプロジェクトルームでのインスタレーション「壮麗な輝き」はデコレーションを施した生の魚を展示したため、それが腐って悪臭を放ち撤去される、というパフォーマティブなもので、興味を惹かれました。

 本展は視覚的に観賞するだけに留まらず、身体的に体感するスペクタクルとして楽しめる展覧会です。
タグ:アート 芸術
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2012年03月09日

「サウダーヂ」を観て

 見逃していた話題の映画「サウダーヂ」が延長上映されたので、渋谷に見に行ってきました。地方都市、甲府を舞台に社会の底辺に暮らす人々のリアリティーを生き生きと描いた、マイナーで稀な視点のインディペンデント映画です。いわゆる肉体労働に従事する登場人物たちは、折からの不況で日々の生活さえ危ぶまれる状況と隣り合わせ。映画は普段目にすることのない周縁化された人々が時代や状況の変化に翻弄されながらの生きざまを愛情深く映し出しています。

前作の「国道20号線」でも国道沿いの、大型店、金融、パチンコ店、モーテルなどラスベガスばりの欲望むき出しの風景が映画の重要な要素になっていました。「サウダーヂ」ではそれに対比するかのようにシャッター商店街などが地方都市の衰退の象徴として撮られていて、今撮るべき風景をしっかり撮っている「風景映画」の系譜を強く感じました。また、監督の富田克也作品の特徴は「音」の使い方にも表れていて、音楽、街の雑音、会話(多言語)等など、様々なレベルの音が多層的に、時にはスポットで、時には背景として使われていて、ある種の臨場感を生み出しています。その中には「無音」も効果的に組み込まれています。大音響のクラブシーンではラップミュージックがブラジル人労働者、日本人若者層それぞれのコミュニティー内コミュニケーションの核となっていることが伺えます。アメリカの黒人ゲットーから生まれたラップミュージックが、世界中の若者文化に影響を及ぼし、境界領域に押し込められた人間、周縁化された人々の表現の発露として機能していることに単純に感激します。同時にアイデンティティー化によってナショナリズムに取り込まれてしまう危うさも言及されていて、安易なアイデンティティー化への問題意識を感じました。

80年代に観たブルックリンという場所にこだわったスパイク・リーの映画「Do The Right Thing」以来のショックを「サウダーヂ」から受けました。巨大資本の影響による地方文化(生活)の均質化と衰退の流れが私たちの街の風景を変えて行きます。だからこそ場所にこだわった表現が今求められているのではないでしょうか?
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タグ:芸術
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