2014年03月24日

ホイットニー・ビエンナーレ2014

http://whitney.org/Exhibitions/2014Biennial
WHITNEY BIENNIAL 2014 MAR 7–MAY 25, 2014

 ホイットニー美術館はバウハウス出身の建築家マルセル・ブロイヤーによるモダンな建物で知られ、ここでは最後になるホイットニービエンナーレが今開催されている。来年はローワ―マンハッタンの新美術館に移転する。1931年の設立から一貫してアメリカの近代・現代アートに焦点を絞った展覧会を行っていて、ビエンナーレではこの2年間に注目されたアメリカ在住アーティストの作品を中心に基本的にはアメリカ人芸術家(例外もあり)を対象に構成されている。そういった意味でいわゆる、今では世界中で開催されている、国際展という大都市や地方公共団体が主催するビエンナーレやトリエンナーレとは一線を画している。そこは世界のアートの中心地、NYなのでアーティストの人選には事欠かない。ある意味へんてこりんな国際主義の必要がないのである。グローバル化の影響を受けつつも、自国の文化状況と向き合う姿勢が貫徹されている。むしろこういったアプローチが海外の有名コレクション花盛りの日本の美術館にも必要だと思う。

 年頭には何人かの有力な美術評論家から現在の美術界の商業主義や娯楽主義に厳しい批判が展開されたので、時代に敏感なホイットニービエンナーレに於いて、今回どのような方向性が示されるか注目を集めている。参加作家は70年代生まれの若手アーティストたちから超ベテラン世代まで様々。ゲーリー・インディアナ、サラ・チャ−ルズワース、デビッド・ディアオなどイーストヴィレッジシーンの懐かしい顔ぶれもそろっている。また一世を風靡した、日本のアカデミシャンのネタ本で、アメリカにおけるフレンチ・セオリーの発信源「セミオテクスト」や、84年のビエンナーレでは、ビエンナーレの中でもう一つのビエンナーレ「アメリカーナ」を開催して、キュラトリアル戦術をアート作品にしてしまった共同制作グループ、「グループマテリアル」のメンバーだった女性アーティストのジュリー・アルトが選ばれているのは嬉しい。彼女はフェリクス・ゴンザレス・トレスやティム・ロリンズと同様に評価されてしかるべきである。このようなところに今回の三人のキュレーター(アンソニー・エルムス、ステュアート・カマー、ミッシェル・グラブナー)がフロア毎の展示を担当している。作品の選択にはそれなりに目配りを感じるが、そこは厳しいNYの観客からは各キュレーターの限界を指摘する批判も現れている。

 話題になっているゾイ・レオナ−ドの作品は美術館の部屋を巨大なピンホールカメラにしてマジソン街のイメージを壁に映し出すものらしいが、そう言われて山本信夫の作品を思い出さない訳にはいかない。日本では山本の作品でさえ、充分な状態で保存されていないのが現状のようだ。日本の現代アートに対する文化度の低さには驚異的である。

Whitney_Museum_of_American_Art.JPG
posted by ミツオ at 15:59| Comment(0) | 日記

2014年02月18日

アンディ・ウォーホル展:永遠の15分

森美術館 http://www.mori.art.museum/contents/andy_warhol/about/index.html

 おそらくアメリカでもっとも重要なアーティスト、アンディ・ウォーホルの大規模な回顧展が森美術館で開催されている。700点に及ぶ作品や資料を年代順に見ることができる。副題の「永遠の15分」は「誰もが15分間有名になるだろう」というウォーホルの言葉から来ている。マスメディアによる急激な大衆化を先取りしたもので、今日のインターネット環境にも通じるものがある。
 出身地であるNYの周辺都市ピッツバーグは、製鉄業で栄えた街で、映画「ディア・ハンター」では当時の様子が描かれている。製鉄業は衰退したがハーシ―チョコレートの工場があり、甘ったるい香りが漂っていた。敬虔なカソリック信者であり、クイアー(同性愛者)でもあったウォーホルはNYで商業デザイナーとして成功を収めた後、アーティストに転身。ファクトリーと呼ばれる工房を拠点に60年代のアートシーンをリードした。ファクトリーは仕事場であると同時に、様々な種類の人物たちが出入りする交流の場でありウォーホル・ファミリーを形成していた。今回の展覧会ではそのファクトリーを模した部屋が順路途中のほぼ中央に設置されていて、当時の雰囲気の一端を感じられるように工夫されている。回顧展の定番である時代ごとの作品展示はウォーホル自身とスティーブン・ショアやビリー・ネームといった写真家たちによるポートレイトやスナップショットの数々が展示されていてドキュメンタリー的な要素が加わり、ウォーホルの作品をよりクロニクルな文脈で味わうことが出来る。
 自分の生きた時代のすべてを受け入れ、肯定したウォーホルではあるが、そこには常に両面価値が存在していた。「作品の表面が全てであり、そこに私がいる。裏には何もない」

有名な10人のユダヤ人
13 Most Wanted Men : http://learn.columbia.edu/warhol/most_wanted/
NY万博。建築家リチャードメイヤーの依頼で「13人の指名手配犯」を設置したが開幕前に主催者側によって銀色で塗りつぶされる。その後万博の主任ディレクターであるロバート・モーゼスのポートレイト設置を提案するが拒否される。
10 jews.jpg
posted by ミツオ at 15:58| Comment(0) | 日記

2013年11月15日

フレデリック・チャーチ パラダイス幻想

http://olana.org/index.php
パラダイス幻想
 ニューヨーク・シティから車でハドソン川沿いを2時間ほど北上する。小高い丘の頂きにハドソン・リバー派の画家、フレドリック・エドウィン・チャーチの邸宅だったオラーナがある。
 ハドソン・リバー・スクールというのはアメリカ最初の風景画家グループで、その名の通りハドソン川沿いの風景やキャッツキル山脈の未開の自然を対象に描いたことからそう呼ばれるようになった。新しい「エデンの園」として未開のアメリカ風景をロマンチックに、そしてドラマチックに描き、1825 年から1875年にかけて全盛期であった。
 これらの画家たちはニューヨークの都市生活者であったが、ハドソン川上流にスケッチ旅行に出かけ、そのスケッチをもとに、初のアーティスト専用レジデンスとしても有名な5番街の10丁目スタジオで油彩によるタブローの制作に励んだ。
 ハドソン・リバー・スクールの画家たちの登場は、それまでのヨーロッパに対する文化的劣等感とその影響を超克し、アメリカ独自の文化的アイデンティティを創造する試みとして同時代の文学者ワシントン・アーヴィングやジェームス・フィニモア・パーカーなどから熱狂的に支持されたという。純粋な人間性と自然との融合を最高の道徳性と考えるその時代の思想(先験論)はハドソン・リバー・スクールの画家たちの風景画にその具現化をみた。それはアメリカという新しい国のアイデンティティに根源的なイメージを与え、アメリカのナショナリズムの潮流の基盤を創ったといえるだろう。超大国でありながら、今日に至るまでアメリカが投影するあの「イノセントな大国」というイメージはこの時期に形成されたのではあるまいか。
ハドソン・リバー・スクールの画家の中でも、最も商業的に成功したのがフレドリック・チャーチで、彼が活躍始めた頃に、南北戦争(1861-1865年) が起こった。この戦争はアメリカを二分し荒廃と絶望をもたらしたが、同時に北東部の実業家に巨大な富をもたらし、その結果ニューヨークの美術市場では今までに例がない高額でフレデリック・チャーチを始めとする風景画家たちの絵が取引、売買されるという現象が起きたのである。プライベートコレクターの誕生である。無垢な自然の風景を理想として描いた作家たちの成功が南北戦争の経済的受益者の富によって支えられていたというのは歴史の皮肉だと云えるかもしれない。
Autumm on the Hudson.jpg
posted by ミツオ at 14:38| Comment(0) | 日記